この暑さの中での授業≒無意味

お久しぶりです。

 

それにしても毎日暑いですね。

 

外でお仕事をしている方は、本当に大変だと思います。

 

どうか、お身体には気をつけて。

 

さて、僕の職場でも、いよいよ2学期が始まりました。

 

公立の中学校の教室には、基本的にクーラーはありません。

 

というより、職員室にだってつい数年前まではついていませんでした。

 

それよりも真っ先にクーラーがついたのは、コンピュータ室です。

 

人間よりも機械が優先。

 

よくそんな環境で仕事をしていたなと思います。

 

猛暑と呼ぶにふさわしいこの夏の教室の暑さは、体験した者にしかわからないと思います。

 

狭い部屋に40人近くも押し込んで、それだけでも暑苦しいのに、この気温。

 

まさに蒸し風呂。あるいはガマン大会。少なくとも勉強する環境でないことだけは確かです。

 

大人でもあの状況で集中して勉強するのは至難の業です。

 

それなのに、近所の中学校の中には、あろうことか8月の下旬から授業を始めているところがあります。

 

あるいは、僕の職場でもそうですが、これまでは何日か取っていた、短縮授業(4時間授業)をやめて、例えば9月2日から通常通りの6時間授業をやっています。

 

このような、部屋でじっとしているだけでも汗がしたたってくるような時期に、わざわざ冷房もない部屋に大勢閉じ込めて行われる授業。

 

愚の骨頂とはこのためにある言葉かと思うくらいです。

 

いったい、なんでこんなことをしているのか?

 

決まってます。

 

最近教育委員会がうるさく言っている、ということは文部科学省がうるさく言っている、

 

「授業時間数の確保」

 

というやつのためです。

 

再来年度から学習指導要領が変わり、授業時間数も増えます。今はその移行期間で、これまででさえ正確に言えば足りていない時間数を、少しでも確保して「必要な数の授業はやってますよ」ということをアピールする必要があるわけですね。

 

以前聞いた話では、近所の中学校の保護者で、授業時数をいちいち数えて、「ここが足りてないやないか」と追求してくる人もいたそうですが、どちらかといえばそういうのは例外で、授業の数が少し足りないからといって文句を言う保護者はほとんどいません。

 

やはり旗を振っているのは、学力低下と言われる現状を打開したい?お役所でしょう。

 

あるいは、そういう一部の例外的な保護者の圧力に耐えかねて、遵法精神を発揮しているのか…。

 

確かに、本来行われるべき数の授業が行われず、勉強すべきことを勉強せずに卒業してしまっていたら困るのですが、現場の者に言わせると、授業数の多少の過不足というのはこれまでもあったわけで、授業の中で教師が調整すれば、やるべきことをやらないということにはまずならないわけです。

 

中学校の場合、教科担任制で時間割を作っていて、なおかつすべての枠(月曜日の1時間目など)の授業数を同じにするのも、学校行事等の関係上不可能なので、当然クラスによって国語の時間数、数学の時間数など、どれもバラツキが出てきます(もちろん、できるだけばらつかないようにはしてますが)。

 

それでも教師は、事前にどのクラスの授業が何時間あるかを確認し、それぞれ工夫してやっていますから、そんなに大変なことにはなりません。どうしても授業が足りなければ、他の教科の教師と相談して授業をもらうということもできますし。

 

大体、こんな時期に何時間か稼いだって、肝心の子供たちはあまりの暑さにだらけきってしまい、集中して話を聞くこともできません。むしろイライラして教師にあたってくる者もいるくらいです。

 

文部科学省のエライお役人さんは、きっと涼しい部屋で今後の教育のプランでも練っておられるのでしょうが、そんなヒマがあったら一度、夏の教室で授業してみてください。ただしその際、熱中症対策は万全に。

 

最後に。

 

教育の中身は授業の数で決まるのではありません。

 

教育委員会は、自分たちの採用した教師をもっと信頼して、「授業数が足りないよ」と言ってくる者に対しては、少しのことであれば「教師がきちんと調整してくれてます!」とバチッと言ってやってほしいものです。

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なぜ日本教職員組合(日教組)は子ども手当に反対しないのか

少なくとも僕の周辺では、子ども手当に積極的に賛成している教師はいません。

 

うちの校区は低所得者層が多いということもあり、子ども手当の使い途は、良くて生活費の足し、悪ければ遊興費に消えてしまいかねないという実感があります。

 

そもそも税金は何のために集めるのか。

 

基本的には、金持ちや贅沢品を買う人にたくさん納税させ、集めた金を再分配し、すべての人に最低限度の生活ができるようにするためのはずです。

 

それなのに、手間暇かけて集めた金を、また一律に分配するというのは、まったくもって無駄なことではないでしょうか。まあ子どもがいる世帯に限って一律ということですが、15歳までの子どもを主体にしてみれば、全員に一律に配るのと同じことです。

 

配るならせめて、経済的な格差を考慮すべきでしょう。つまり、これまでの児童手当でも構わないではないかということです。

 

しかし、現金を配ること自体も、果たしてどうかなと思います。

 

個人がなけなしの現金を使ってできることなぞ、たかが知れています。

 

政府がその権力でもって得た莫大な金があれば、相当なことができます。

 

少子化対策なり、高校や大学の学費援助なり、保育所の増設なり、世の中を劇的に変えることが可能なはずなのです。

 

それなのに、その金を細切れに分けてしまって、使い途は個人に任せるという。

 

こんな勿体ない話があるでしょうか。

 

はっきり言って、これは政策を考える側の怠慢であり、金をばらまけば支持してもらえるだろうという打算の産物でしかありません。

 

ところで、日教組は、30人学級の実現など、教職員の増員を求めています。

 

もちろんこれを実現するにも予算がかかります。

 

しかし政府は、言ってみれば教職員の増員にだって使える金を、子ども手当に回してしまっているわけです。

 

なんで日教組は、「子ども手当なんぞに使う金があるなら、30人学級を実現しろ!」と言わないのか。

 

子ども手当にかける何兆円かさえあれば、教職員を増やすなどお茶の子さいさいでできるはずです。

 

実際、現場の教師は連日、子どもの指導に疲れ果てていて、それは仕事だからまだいいのですが、しょうもない締め付けやくだらない事務仕事にまで忙殺されています。それらを少しでも緩和できれば、教育の質は間違いなく上がるのではないでしょうか。

 

職員が増えたらその分サボれる、などと考えている教師は、少なくともうちの職場にはいないと思っています。

 

日教組こそが、本来そういう主張をするべきだと思うのですが…結局、民主党の支持母体であるという枠から逃れられず、本当に子どもたちのためになることを訴えることができない。

 

だからダメなんです。

 

 

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修学旅行シーズンに思う、教師の勤務実態

ほぼ2年ぶりの更新です。

 

この間、育休ネタなどにコンスタントにアクセスがあり、改めて関心の高い話題なのだと実感しています。

 

そして先日、今流行りのtwitterを遅まきながら始めてみましたので、そちらでつぶやき程度に愚痴ることもあろうかと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

 

さて、うちの近辺の中学校では、5月~6月に修学旅行に行くことが多いです。沖縄に行くところがほとんどです。

 

前にも触れたように思いますが、下見をする際の費用は基本的に2人分しか出ないので、それ以上の人数で参加した場合は、その2人分の費用を参加人数で割り、残額は個人負担ということになります。

 

また、多くの場合は下見を1年ほど前に行い、さらに直前下見をもう一度行います。これは、年度がかわる時に下見に行ったメンバーが転勤してしまったり、新たに入ってきたメンバーを改めて案内したり、現地の人(例えば平和ガイドの人)などと細かい打ち合わせをするためです。こちらは、100%自己負担になります。

 

修学旅行を担当する教師の経済的・精神的負担たるや、相当なものです。

 

さらに、勤務時間の問題があります。

 

修学旅行を引率する教師は、2泊3日の場合、1日目の朝6時から3日目の夕方5時まで拘束されるとして、60時間近く働くことになります。睡眠時間もあるにはありますが、多く見積もっても2泊合わせて10時間程度でしょうし、夜中でももし何かあれば対処しなければなりませんから、医師や消防士の夜勤に比較的近い状態だと思います。

 

しかし書類上は、修学旅行の3日間はすべて12時間の労働ということになっています。通常の8時間との差である4時間×3日間の分だけ、他の日に振り替えて休むことができるというしくみです。

 

以前あった、「お疲れ休み(疲労回復休暇)」というのは、もうなくなってしまいました。だからもし、月曜日出発だと、水曜日に帰ってきて、木曜日は授業ということになります。それを避けるため、多くの学校では水曜日に出発するか、土曜日か日曜日出発にして、帰ってきた翌日を代休にするという形をとっています。もちろん生徒も休み。

 

公立学校の教師は公務員ですから、書類上の勤務状態がきっちりしていることは大切だと思うし、変に優遇されていたら良くないとは思うのですが。

しかしそれにしても、この頃上から伝わってくる「きっちりしようね」攻撃には、げんなりするものがあります。

 

日曜参観の日に、1時間しか授業がないのに翌日丸一日代休なのはおかしいから、参観の日も5時間授業をしろとか。

 

創立記念日は生徒は休みだが、教師はそうではないので休む場合は年休届けを出せとか。

 

国家公務員に合わせるというよくわからん理由で、育児に関する勤務時間短縮制度をなくすとか。

 

確かにこの不景気の時代ですから、仕事があるだけでもありがたいと思わなければいけないのかもしれませんが。

 

そんなにきっちり勤務してほしいなら、

 

体育祭の日は勤務時間開始時から準備に入るので、生徒の登校も、競技の開始も通常より一時間遅れで、時間短縮。

 

PTAの夜の会議は、勤務時間が終わっていますので、我々は帰ります。保護者の皆さん、戸締まりだけよろしく。

 

入試の日も勤務時間開始時からしか動けませんので、当日の朝何かあって学校に連絡されても、誰も出ません。

 

ということになります。

 

要するに、普段様々な場面で教師の使命感やボランティア精神や自己犠牲に頼っているくせに、都合のいい時だけきっちりさせようとするのは止めてほしい、ということです。

 

こんな状態だから、一生懸命働くだけバカらしいと思ってしまうのです。

 

どうせなら教職員の給料底上げ4%をなしにして、正味の残業手当をつけてほしいところですが、そんなことをしたら教師の残業量がハンパないことがはっきりして、財政破綻でしょう?

 

給料を下げられても、ほとんどの教師は、子どもたちを目の前にして手を抜くこともできず、これまで通り働いているのですから、それを労ってくれるならまだしも、これ以上意欲を削ぐようなことは本当に止めてもらいたい。

 

特に橋下知事には、このあたりの現場の苦労を知ってもらいたいですね。

 

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教師の夏休み

あわわわ。本当にお久しぶりです。

 

3月いっぱいで育児休業が終わり、仕事に復帰しました。

 

予想されていたことではありますが、仕事+家事+育児で目の回るような忙しさ。

 

それでもこのブログは書き続けるつもりだったのですが、結局かなわぬまま、一学期が終わってしまいました。

 

正確にはもう「育休教師」ではないのに、タイトルもそのままだし。

 

しかしこのように4ヶ月以上も更新が止まっているにもかかわらず、ほぼ毎日アクセスがあります。

 

ありがたいことです。

 

夏休みに入ったことですし、久しぶりに一筆。

 

テーマはやはりこの時期の教師の生活について。

 

こんなことがありました。

 

夏休みの初日、僕は出勤する前に、子供を預けるために保育所に行きました。

 

いつもは7:30に預けているのですが、その日はもう夏休みということで、多少遅くても大丈夫なので、8:00頃に行きました。

 

すると。

 

保育所の先生(もちろん僕が教師だということを知っている)が、「学校は…もう夏休み、ですよね」と聞いてきました。

 

「え? はい、そうですが」

 

「休みの時は基本的に9:00から16:00でお願いしていますので」

 

僕は初め、この先生が何を言っているのかよくわかりませんでしたが、どうやら「生徒が夏休み=教師も夏休み」と思っておられるのだと気付きました。つまり、夏休みに入れば教師はずっと休日が続くのだから、出勤している時と同じように預けてはいけない、と。

 

世の中には、やはり「教師は夏休みがあって楽でいいなあ」と思っている人がいるのだ、ということを痛感した瞬間でした。

 

もちろん、この先生に説明しました。

 

生徒は夏休みでも、教師は基本的に毎日勤務することになっていること。

 

夏休み中でも教師が休む場合は、休暇の届けを出さなければならないこと。

 

一応納得はしてもらいましたが、保育所の先生でさえこの程度の理解度なら、世間一般ではどのように思われているだろうと思うと、空恐ろしいものを感じます。

 

そこで今日は、教師の夏休みの実態について書こうと思います。

 

ただし例によって、あくまで僕が勤務しているところの話なので、細部については地域によって異なっていることが充分あり得るということをご理解の上、読んでいただければと思います。

 

中学校の教師が夏休みに出勤する用事としては、主に以下のものが挙げられます。

 

1.部活動

2.登校日

3.補習や勉強会

4.校内で行う研修

5.校外で行われる研修(すなわち出張)

6.日直

 

部活動は熱心にやる人もいればそうでもない人もいて、それによって夏休みに出勤する回数は大きく異なってきます。運動部をバリバリにやっている人には、土日も含めてお盆くらいしか休みがないと言ってもいいでしょう。

 

登校日、補習や勉強会は半日で終わることが多く、日直は電話番などがメインになってくるので、こういう時についでに自分の仕事(教材研究や事務仕事など)をする人が多いです。

 

研修も結構あります。僕の職場でも個人差がありますが、5~10回くらいでしょうか。

 

確かに言えることは、やはり授業がないぶん、普段よりは楽だということです。教室に生徒がいないので時間的な制約は少なくなりますし、休暇を取っても補欠を入れる必要がないので、休みやすい時期でもあります。実際、旅行に出かける人もたくさんいます。

 

ただし、決してずっと休んでいるわけではなく、2学期以降に向けての準備や、授業で忙しい普段にはなかなかできない勉強をし、教師としての資質の向上のために努力もしているのです。それだけは理解してほしいです。

 

 

制度的なことでいうと、出勤しないでおこうと思ったら、普通に年休を取るか、または夏季特別休暇(お盆休みみたいなもの。5日間取れる)を使うか、あるいは「勤務場所を離れての研修(いわゆる自宅研修)」ということにするか、です。

 

この中で、教師の世界に独特なのが、自宅研修です。これは、校長が認めれば、勤務場所以外のところで自主的な研修をすることができるというものです。実態としては自宅で研修をすることが多いです。

 

昔は、この自宅研修がいい加減で、年休を使わずしてほとんど休んでいるのと同じという状態でしたが、最近は研修計画書や研修報告書を出すことが義務づけられていますので、自宅研修を選ぶとそういう書類を出す煩わしさが生じることから、敬遠する人も増えています。

 

でも自宅にいて、きちんと1日8時間自主的に研修を続けている人が実際どのくらいいるでしょうか? そう考えると、端から見て「教師は楽だな」と思われても仕方がない部分は、この辺にあるのかもしれません。

 

どうでしょうか。一応「教師も夏休み」というわけではない、くらいには理解してもらえたでしょうか。

 

ついでに、夏の学校がいかに暑いか、ということも書いておきます。

 

7月に入ると、普通教室の暑さは異常なものになります。とくに鉄筋コンクリートでできた校舎の3階。熱がこもって信じられないくらいの暑さです。よく授業をしたり給食を食べたりできるな、と。9月に入ってもしばらくはそんな状態です。

 

職員室にはさすがに数年前にエアコンがつきましたが、それまでは暑い中で事務作業もしていました。屋外で働く人ほどではありませんが、これもなかなかきつかったです。

 

労働条件というものには様々な側面があり、簡単に「あの仕事は楽だ」「この仕事はしんどい」と結論づけられるものではない、と僕は思っています。どうも人間、自分がいちばん大変な目に遭っているんだと言いたくなる傾向があるようです。

 

夏休みも残りほぼ1ヶ月。他の人から後ろ指を指されないよう、有意義に過ごさなければなりませんね。

 

そのためには…。

 

 

頑張ってブログ更新!

 

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破壊王

また1ヶ月も間が空いてしまいました。

 

そうこうしている間に、僕の育休も残り1ヶ月を切り、育休教師の看板を下ろさねばならない日が近付いてきました。

 

復帰してからも愚痴はいろいろあると思うので続けようとは思っているのですが、とりあえず残された日々を大切に過ごそうと思います。

 

といいつつ、今日はくだらない話です。

 

僕が家事をしていたこの1年を振り返ってみると、やたらといろいろな物が壊れました。

 

子供の傘は大して使っていないのに骨が折れたし、テーブルの端はハイ&ローチェアとぶつかって表面の化粧板が剥がれたし、キッチンの引き出しの取っ手はガクガクだし、洗濯物を干すジャラジャラ(名前がよくわかりません。洗濯ばさみが一杯ついているやつ)もあちこちが破損してガムテープやヒモによる補修だらけです。

 

妻にもだいぶ責められました。

 

「私が家事をしている時はこんなことはなかった」

 

いったいなぜだろうと考えてみました。

 

たまたま経年劣化による破損が重なっただけだと開き直ろうとも思いましたが、どうもそれだけではないようです。

 

確かに、僕の扱いが手荒いのかもしれません。

 

例えば、キッチンの引き出し。取っ手だけではなく、他にも問題がありました。

 

うちは今の家に引っ越して3年ほどで、キッチンも比較的新しいのですが、最近のキッチンの引き出しは、閉める時に多少強く押してもガチャンと閉まらず、最後ゆっくりと閉まってくれます。衝撃を和らげる機構が組み込まれているようですね。ご存じの方も多いと思います。

 

ところが僕が主に使うようになってから、その機構が利かなくなってきたのです。これまでのように閉めると、その勢いのまま(むしろ完全に閉まる間際で勢いが増す感じで)ガチャンと閉まって、中の調味料がガタガタと倒れるようになってしまいました。ほとんどすべての引き出しがそうなりました。

 

メーカーに連絡したら一応無料で直してくれたのですが、「中身がたくさん入って重くなっている引き出しは、あまり強く閉めないでくださいね~」とやんわり注意されました。

 

ここで、ひとつ自分にとって都合のいい言い訳を思いつきました。

 

「家事に使う道具は女性向けに作られている。男性が使うと力があり過ぎてつい破壊してしまう。家事は女性がするものだからこれくらいの強度でも大丈夫…と、メーカーが手を抜いて作っているのだ! これは男女差別の結果なのだ!」

 

だいぶ無理がありますか。

 

洗濯物を干すジャラジャラにしてみても、うちのは半分に折り畳めるのですが、開く時によく洗濯ばさみが引っかかるのです。初めのうち、それにイラ立って「ふん!」とばかりに力を込めて開いたら、洗濯ばさみの付け根が砕け散りました。

 

僕は決して筋力のある方ではありません。それでもこんなに簡単に壊れるようでは、普通の男性が家事をすれば、もっともっといろいろな物が壊れることが予想されます。きっと数年後には社会問題化しているはずです。

 

家事に関わる用品を作るメーカーの方には、これからは男が使っても壊れないくらいの強度をもった製品をお願いしたいものです。でないとクレームが来るかも…。

 

もちろん僕はメーカーに苦情を言ったことはないですよ。

 

小心者ですから…。

 

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座りション

今回は、打ってかわって卑近な、というよりも尾籠な話題です。

 

最近、新聞記事でも「男性の○割が座りション」というのをしばしば見かけるようになりました。

 

実は、我が家では既に7年も前、結婚当初からこの座りションが徹底されています。

 

理由は、単純です。

 

妻が、「立ってすると床とか壁に飛び散って汚いからやめて」と言ったのです。

 

初めは、ものすごく抵抗がありました。何というか、座って小用を足すというのは、男としての自分が否定されているような感じがしました。

 

しかし人間というのはどんな状況にも慣れることができるもので、今では、そんなところに男としてのアイデンティティを見出す必要もなかろう、というところまで悟りを開くことができました。

 

そんなわけで、オムツの取れた4歳の長男も、家では座りションです。

 

ただ、このことは家族内でのみ了解されていることであり、必ずしも世間一般の常識ではありません。

 

ですから、いくつか難しい点があります。

 

一つは、家にお客さんを招いた時のことです。

 

我が家は一戸建ての注文住宅なのですが、妻がやたらと自然な材料にこだわった結果、トイレの床までもが無垢の木でできています。

 

もともとは、子供もいるし、どうしたって汚れるだろうというので、打ち合わせの段階では妻が散々迷った挙げ句、結局よくあるビニールみたいな素材で作ることになっていたのです。

 

ところがその散々迷ったことが原因か、できたのを見たら板になっていました。今さらやり直すのも困難で、仕方なく自然塗料とかいうものが塗られています。でも完全なワックスではないので、汚れは浸透します。

 

そんなわけで、男性のお客さんにも座りションをお願いしなければなりません。

 

いちいち言うのも面倒だし、言ったとしても唐突な感じが否めないので、結局ドアに貼り紙をしています。

 

ま、酔っぱらった人なんかにはほとんど通じてないのですが。

 

あとは、その時だけマットを敷いたりとか。妻は基本的に、部屋の中にあれこれ置いて飾るのが嫌で、シンプルなのが好きみたいです(そのくせ「片付けられない女」なのですが)。だから普段はマットは敷いていません。

 

もう一つ難しいと思ったのは、子供のトイレトレーニング。

 

長男が、保育所では立ってするのに、家では座ってやらされるのというので、少し混乱していたみたいです。でも今では、お店などでは立ってして、家では座るという区別ができているみたいです。子供は柔軟ですね。

 

ま、少なくとも言えるのは、我が家における男女間の力関係というのは、世間の数年先を行っているだろうということです。

 

世間では、まず妻がトイレ掃除をしているという前提があって、だから汚してほしくなくて、夫に座りションを要望しているわけでしょう?

 

その点、我が家は違いますよ。

 

「トイレが汚れるから座ってやって」と言っている妻は、ほとんどトイレ掃除をしません。

 

この先進性!

 

ええ、トイレ掃除は僕の仕事です。

 

一体どうなってるんだって?

 

僕にもわかりません。

 

それが、我が家の有り様だとしか言いようがないですね。

 

こんな僕のためにどなたか愛の手を…。

 

 

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橋下さんのおかげで…

前回の更新から間もないのですが、早くも更新です。

 

これには訳があります。

 

前の橋下さんについての記事を書いてしばらくしてから、何となくこのブログへのアクセス数を見てみたら、目を疑うほどに…。

 

激増!

 

ここのところ1日平均5アクセスくらいで、それでも随分増えたなぁと思っていたのですが、ある1日だけで300を超えるアクセスがあったのです。

 

なぜ!? と思ってアクセス解析を見ると、ニフティのトップページから橋下さんの記事へ入ってくる人がほとんど。

 

どういうこと? と思ってそのページを見てみたら、何と「旬の話題ブログ」というのに橋下さんの記事が取り上げられているではありませんか!!

 

トップにあったのは数時間だけのようですが、その間に300以上のアクセス。トップページからの直接リンクの力を思い知らされました。

 

どなたかは存じませんが、取り上げてくださった方、ありがとうございました。

 

これを機会に、男性育休教師の存在に少しでも焦点が当てられることがあれば嬉しいです。

 

とはいえ、記事の題材は今後も特に旬を追うことなく、書きたいことを書くだけになると思います。

 

他の記事も読んで気に入ってくださった方は、再び訪れてくださるもよし、コメントを残されるもよし、blogpeopleのバナーをクリックしてくださるもよし。今後ともよろしくお願いします。

 

 

ところで、橋下さんの「府債ゼロ」発言については、最近の報道ではやや後退したような印象も受けますが、予算を組むのはまだまだこれからなので、注意深く様子を見ていこうと思います。

 

それよりも、先日また妻から税金の無駄遣いの話を聞きました。

 

それは、授業の研究発表を行う場でのことです。

 

普段は教師の研修などに使われている施設で行われたらしいのですが、妻が所属するグループの発表のリハーサルをしている時、その講義室みたいな部屋にたまたまあったスポットライトを発表で使いたいという話になったそうです。

 

それでその施設の人に聞いてみると、「そのスポットライトは○○課の持ち物だから、事前にそこへ書類を回しておかないといけない」などと面倒くさそうに言われたそうです。

 

スポットライトは現に目の前にあって、スイッチを入れればすぐに使えるのです。

 

それなのに、書類を回さなければならないとは…いかにもお役所仕事ですね。

 

そういうくだらないことに使われる労力にも、当然給料が支払われているわけです。

 

それは、税金の無駄と言えるのではないでしょうか。

 

このことだけなら大したことはないですが、一事が万事。

 

公務員自身も、今後はこういう無駄についてもっと意識する必要があるでしょうね。残念ながら、我々教師も、教育という自らの仕事についてコスト面から見直さなければならないことがありそうです。

 

そして前の記事の繰り返しになりますが、トップに立つ人が、現場で無駄と思われていることを積極的に吸い上げてほしいものです。

 

テレビなどでのセンセーショナルな取り上げ方に左右されることなく、「やる」と言ったことをどこまで実現できるか、そこだけを冷静に見つめていきたいと思います。

 

 

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新大阪府知事・橋下徹さんと府債

先日の大阪府知事選挙で、弁護士の橋下徹さんが当選しました。

 

何しろ知名度のある人なので、マスコミではいいことも悪いことも含めいろいろ言われるでしょうが、とにかく自らの職務を全うし、公約を実現してほしいものです。

 

新聞によると、橋下さんは「府債発行は原則として認めない」と言っているそうですね。

 

つまり、これまで毎年何千億円と借金していたのを、やめるというのです。

 

これに対しては、「非現実的だ」という声が上がっています。

 

職員の給料をカットしたとしても、医療費などの補助金に充てるにはとても足りないそうです。補助金がなくなれば、生活に悪影響が及ぶでしょう。さらには、公共施設の有料化なども検討されるかもしれません。

 

確かに、これまで続けてきた借金を急にやめて、今までと同じ行政サービスを保つことは難しいでしょう。

 

しかし行政というところは、「無駄を省くようにしている」「効率化を心がけている」と口では言いながら、その実まだまだ生ぬるいことがたくさんある、厄介な存在です。

 

一つの例としては、前に書いた「指定業者問題」があります。詳しくはそちらを読んでいただきたいのですが、要するに学校の備品は基本的に決まった業者からしか買えず、その業者は価格が高いという問題です。

 

一方、妻の学校でもこんなことがありました。

 

授業などについての研究発表用の資料が配布されたそうです。

 

しかしその体裁は。

 

何と、上質紙に片面だけ印刷して束ねてあり、無駄に重厚な仕上がりになっていたとか。

 

それで妻は、校長に「これ、もったいないですよね~」と言いました。

 

すると校長は。

 

「でも、予算を使い切らないといけないらしいから。はっはっは~」

 

と呑気なものだったそうです。

 

これは税金の無駄遣いのみならず、資源の無駄遣いでもあるでしょう!

 

近頃、政府も企業もこぞって環境対策をPRするのに余念がないというのに…。

 

この、税金を使わせてもらう側としての自覚のなさも問題ですが、前の例にしても今の例にしても、これらは制度的な欠陥でもあります。

 

上に立つ人には、ぜひこういう問題を改善してもらいたい。

 

我々下々の者には、それこそ節約に努めるといったような、できる範囲のことしかできません。

 

聞き取りなどを通して、末端の職員だからこそわかる無駄遣いの実態を吸い上げ、よりよいお金の使い方を模索してほしいと思います。これまで行政の側が、職員一人ひとりに「どうすれば無駄遣いをなくせる?」と聞きに来たことはあったんでしょうか? 僕は聞かれたことありません。

 

何だかんだ言って、本当はまだまだ危機感なんかないのです。もっと必死になれば、浮かせるお金は見つかるはずです。

 

職員の給料を減らすのも結構ですが、それでは意欲をそぐだけですし、補助金をカットすれば府民の生活の不安が増大し、「子どもも大人も笑う大阪」というわけにはいきません。

 

それよりも、職員の目からも明らかな無駄を省くこと。これでコツコツと成果を積み重ね、「府債発行ゼロ」という初志を貫徹してもらいたいと思います。

 

そうすることで、他の都道府県にも、借金を減らす・なくす道が拓かれれば最高ですね。

 

今必要なことのために、次の世代の負担を増やすのは、やはりおかしいことですから…。

 

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カバー曲が大当たり?

またまた前回から随分月日が流れてしまいました。

 

いつの間にか年も変わりました。すでに「おめでとう」と言う時期も過ぎました。

 

僕の育休生活もあと2ヶ月半。

 

育休が終わるまでに、あと何回更新できるかわかりませんが、頑張ってみます。

 

仕事に復帰しても続けようとは思っているんですけどね。

 

 

さて、このような稀にしか更新されないブログでも、この頃は平均して1日に1回以上はアクセスがあります。

 

ありがたいことです。

 

アクセス解析を見ると、育休や教師といった言葉で検索して訪問される方が多いようです。

 

だから、そういう記事をもっと書くべきなのでしょうが…。

 

その前に、音楽関係でどうしても書いておきたい愚痴があるのでお付き合い願います。

 

 

昨年の音楽シーンを語る上で重要といえることの一つに、カバー曲・カバーアルバムのヒットが挙げられます。

 

徳永英明さんのアルバムは、あえて女性ボーカルの曲ばかりをカバーしたという点で確かに斬新でした。

 

お陰で、カラオケでも男が女性の歌を歌いやすくなったような気がします。といっても最近カラオケに行っていませんが。

 

そして、レコード会社の人々はこれを見て、「カバーものは売れる」と思ったらしく、いろいろなアーティストに新旧様々な曲をカバーさせました。

 

その中にはよく売れたものもあるでしょう。古い曲がリバイバルヒットすれば、異なる世代間での共通の話題もできるかもしれません。なぜかカバー曲しかヒットしない歌手もいたりします。

 

しかし。

 

最近カバーされる曲のほとんどは、元の曲がミリオンヒットだったりして既に有名なのだから、ある程度売れるのは当たり前ですよね。僕も有名な曲を違う人が歌っているのをお店で耳にしたりすると、「おっ?」と聴き入ってしまいます。

 

どうもそこには、レコード会社の「いい音楽を創る」という気概を感じないというか、売れれば何でもオッケーと思っている節があるんじゃないかとか…とにかくあまりいい印象を持ちません。

 

映画で新作を作らずに「○○2」とか「続○○」でお茶を濁しているのと同じです。ある程度売れるという安心感はあるけれど、またこれかという物足りなさも残る…。

 

そういえば昨年、かつて「尊敬しあえる相手と共に成長したいねん」などと歌ってヒットした曲のアンサーソングと銘打って、ある女性グループ(男もいたっけ?)が歌った曲には、かなり呆れました。詞が変えてあるから完全なカバーではない、しかしサビはほとんど同じで印象は元の曲と同じ、新しい詞の内容は薄っぺらと、すべてにおいて中途半端さが漂う曲でした。元の曲にはオリジナリティが感じられたと思うのですが。

 

同じような例として、元曲のタイトルの「いるよ」を「いるね」に変えて歌い手の名義を男女入れ替えて再度ヒットさせ、正に「1曲で2度美味しい」を実践した曲もありますが。なぜこれがヒットするのか、かなり謎です。

 

多少なりとも気概のある仕事をするとすれば、素人でもカラオケで歌えるようなヒット曲ばかりを安易にカバーするのではなく、知る人ぞ知る名曲、人々が「あ~そういえばそんな曲があったな~」と思うような忘れられた名曲、こういった曲こそを紹介すべきではないでしょうか。

 

そう思っていたところ、正にそれを実践してくれているバンドを発見しました。

 

それは、Bank Band。あのMr.Childrenの桜井和寿さんを中心とするバンドです。

 

ミスチル自体は昔好きだったのですが、最近の曲は歳のせいか、どれも同じように聞こえます。「Sign」と「しるし」、意味同じだろと思ったりします。

 

しかしBank Bandがカバーする曲は、正に僕が「これをもう一度聴きたかったんだ!」と思わず膝を打つようなラインナップです。

 

岡村靖幸さんの「カルアミルク」。

 

さねよしいさ子さんの「幸福のカノン」。

 

そして、矢野顕子さんの「ひとつだけ」。Bank Bandがこれを歌うライブ映像をテレビで見た時はそれこそ「キター!」と思ったものです。

 

80年代から90年代の隠れた名曲の数々を何らかの形で紹介することは、ある意味僕の夢かもしれません。

 

僕が紹介するとすれば、当時傾倒していた遊佐未森やZABADAKなど、かなりマニアックな内容になってしまいそうなのですが。

 

機会があれば紹介したいと思います。

 

沿志奏逢2

 

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やっぱりチャットモンチーはよい!

あらぁ。もう2ヶ月もたってしまったのですか。

 

書きたいことはたくさんあったのに、情けないことです…。

 

幼稚園の運動会で撮ったビデオの編集をしたり、愚妻の仕事でコンピュータが必要な部分の手伝いやアドバイスをしたり、終いには風邪を引いて寝込んだりしているうちに、それだけの月日が流れてしまったのですね。

 

ま、後悔は先に立たず。育休生活も残り4ヶ月を切った今、できるだけのことをするしかないですね。

 

久しぶりの更新なのですが、また音楽の話題で。

 

以前に「チャットモンチーはよい!」というのを書いたのですが、あれからアルバム「生命力」やDVD「チャットモンチー レストラン 前菜」が発売されて、ますます知名度は上がっているようですね。

 

2ちゃんねるを見ると、ギターボーカルのえっちゃんこと橋本絵莉子さんに萌えるスレなどがかなりの勢いで伸びており、そういう意味でも盛り上がっていることが伺えます。その気持ちもよくわかるなと。僕自身、小さい頃から楽器が弾ける女の子によく憧れていたのを思い出します。

 

でも音楽的なことで言うと、今回のアルバム「生命力」についてメンバーがよく語っているのが、「スリーピースであることにこだわって作った」という点です。つまり、3人が出す楽器の音と声だけで構成されていて、他の音を入れることを極力排したものになっているということです。

 

このことに、僕はいたく感銘を受けまして。

 

というのも、僕は昔から、4人組のバンドでギターは一人しかいないはずなのに、ギターの音が2つ分も3つ分も入っていたり、シンセの音が入っていたりする曲があると、違和感を覚えていたからです。ライブで自分たちだけでは再現できないではないかと。サポートメンバーを入れるにしても、バンドという「絆」で結ばれているはずのメンバーに、なぜそうでない人間を加えないと演奏できないような曲を作るのか。

 

有名なバンドでも、ドラムがいないバンドなんかもあります。それでいて、そのバンドの曲には必ずドラムが入っている。こういうところに、僕は何だか矛盾を感じてしまうのです。もっとも、そんなことを思うのは僕だけなのかもしれません。

 

最近はバンドではなく、ユニットという言葉もあって、サポートメンバーが入ることを前提とした形式もあり、曲が良ければ、見栄えが良ければ、別にそんなことどうでもいいじゃないかと思われそうなのですが。

 

その点、チャットモンチーは自分たちで曲を作り、アレンジもし、演奏も3人でするというバンドです。メジャーになった今でこそ、プロデューサーを初めとした他の人の意見も取り入れているでしょうが、もともと自分たちですべてをこなしていたのです。

 

このように考えてみると、チャットモンチーが今までメジャーにはあまりいなかったタイプのバンドであることがよくわかります。

 

女性だけのスリーピースで、曲作りも演奏も自分たちだけで行うバンド。

 

そしてまた、本人たちもその立ち位置をよくわかっていて、スリーピースということを前面に押し出したアルバムを作ったのかもしれません。「生命力」を聴くと、以前の曲よりもさらにギターを重ねるところが減り、ずいぶんと削ぎ落とされた感じになっています。

 

これを「音が薄い」と感じるか、「シンプルだし、ライブでも再現しやすい」と感じるか。僕は、不要なものをどんどん削ぎ落としていくやり方には、俳句などにも通じるような日本的なものを感じます。

 

バンドメンバーだけでは再現できないような音作りをするくらいなら、いっそのことYUKIやPerfumeみたいにほとんど打ち込みにしたら?と言いたくなります。ちなみに僕はそういう曲も好きです。

 

話は多少変わりますが、ギターボーカルの橋本さんの話を聞いていると、自分のやりたいことを実現する上で重要なのは、とにかく「やってみる」ことと、それを続けていく「意志の強さ」だなぁと痛烈に思います。

 

ミュージシャンになる場合、いちばん重要なのは演奏力だと思われがちですが、演奏力だけならアマチュアにだって相当な力を持つ人がいるでしょう。例えば橋本さんよりもギターがうまい人だってきっといます。プロが誰でも、布袋寅泰やCharみたいな演奏力を持っているわけではないのです。

 

やはり彼女のように、とにかくプロになりたいと、曲を作って、演奏して、大学進学もやめて、がむしゃらに続ける。もちろん意志の強さだけで夢が実現するものではありませんが、僕を含めてほとんどの人には、そんな意志の強ささえ持ち合わせがありません。だから何かをしようと思っても、継続して最後までやり遂げることができない。

 

自分の意志の弱さが身に染みる、今日この頃です。

 

何だか暗い感じになってきたな。

 

とにかく、やっぱりチャットモンチーはよい!

 

次回作にも期待しています。

 

生命力

 

チャットモンチー レストラン 前菜

 

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